14歳からの哲学 考えるための教科書

14歳からの哲学 考えるための教科書」池田 晶子 (著)
本書は、中学生向けに書かれた哲学書です。でもその内容が子供向けで難しくないものかというとそれがそうでもありません。平易な言葉を選んで書かれているものの、その内容は大人が読むにも十分に耐えうるもの。むしろ、大人が読んでも十分に哲学の内容であり、何を言っているのかわからず道に迷ってしまうため、何度も同じところを読み返してしまうこともありました。
「自分とは誰か」という章では、先ず自分が何なのかを説いています。「私」が自分を支持するための代名詞、自分というのは代名詞「私」より先にあるもの。その自分こそが、名前でも代名詞でもない、自分であるところのもともとの自分。自分は自分が自分であるとわかるけど、どうしてわかるのだろうか。

「わからない」と感じることを、どこまでも考えてゆくようにして下さい。「わからない」ということは、答えではなくて、問いなのです。君が毎日やっているその自分とは、本当は何なのか、知りたくないはずはないでしょう。

勉強でも仕事でもできる人というのはわからないと曖昧にしないのでしょうね。私は割といい加減なところがあるので、曖昧にしちゃうことも多いけど、拘りのある部分は決して曖昧にしたがらないので、あらゆる点においてそうしている人は尊敬します。
「心はどこにある」の章では、「心」とよbンでいる思いや感じや考えのことを感情と精神に分けている。前者が動いて変わる部分、後者が動きも変わりもしない部分。感情は感じるもので、精神は考えるもの。ここでは感情がいけないものと言っている訳ではなく、精神の働きがなぜ大切なのかを教えてくれます。
「規則」の章では、どうして社会生活には規則が必要なのかという考察が書かれています。この内容が哲学書であるので、単純な説明に終わらず一歩内側に踏み込んで疑問を解明しようとしています。
「品格と名誉」は目からうろこである。「上品」「下品」という言い方がある。「じょうひん」「げひん」ではなくて、「じょうぼん」「げぼん」と読み、これらは似ているけれど微妙に違っているそうです。「げぼん」に対するところの「じょうぼん」というのは、見た目の感じのことではなく見えない人柄、人の内面性を言う言葉らしい。「じょうぼん」「げぼん」というのは、徹頭徹尾、人の内面、精神性こそを評価する言葉なんだそうです。知りませんでした...

精神は自分を自覚する。精神としての自分を自覚するんだ。そして、精神にとっては精神よりも大事なものはないと知る。なぜなら、精神としての自分にとって何が大事かを考えて知ることができるのが、まさしくその精神だからだ。自分を大事にするとは、つまり、精神を大事にするということなんだ。

ううむ、哲学ですな。自尊心とプライドの違いも説明されています。自分の価値より他人の評価を価値としているとするとそれは自尊心ではなくて、単なる虚栄心だということだ。なるほど。さらに嫉妬という感情も同じ理屈です。ヤキモチ、自己主張、自己顕示、見栄など普段何気なく使っている言葉もこうやって理路整然と説明されると考え直させられますね。
【宇宙と科学」の章では、「自分がある」ということと「自分がない」ということ、「今」とはいつで、時空とは何で、「自分」とは誰なのかを説いています。
読み進めていくと、頭が冴えているときはするすると読めて内側をえぐって解明していることもすんなり頭に入ってきますが、頭が冴えていないときは何だかよくわからなくなりぐるぐると頭が回りだし何度も同じ行を読み直しては考えたりするので、読了するのに思いの外時間がかかってしまいました。これを読んで、ここに書かれている内容をすべて理解する中学生はきっといるのでしょうし、そういう子供達ってすごいなって思います。:-)