ソフトウェア企業の競争戦略

Blackcomb2006-11-19

会社の人に、Michael A. Cusumano 著の「ソフトウェア企業の競争戦略」(原題: The Business of Software) を読みました。結構小さめの字でそこそこ分厚い本だったけど、これ面白いです。ソフトウェア企業で働いている人、そういう会社で起業を考えている人にとっては特に読み応えがあると思いますよ。
出だしは、ソフトウェアという業種が従来の製造業等といかに異なるかというトピックから始まるります。つまり、1つのコピーをつくる製造コストと、100万のコピーをつくる製造コストがほぼ同じで済むこと。製品企業がいつのまにかサービス企業やハイブリッド企業に変貌してしまうこと。生産性の高い従業員と低い従業員の格差が10〜20倍になること。75〜80%のプロジェクトが日常的に送れ予算超過となり、プロジェクトの20%を時間通りに成し遂げると「ベスト・プラクティス」扱いされること。開発者が自らを芸術家と思っていて、移り気な気質で仕事をしても許されること。ユーザーが特定メーカーに「ロックイン」されてしまうことなど、沢山ある。と同時にソフトウエアにはほとんど無限の可能性があるとも書かれている。

日本企業は、工作機械や VTR、電子レンジなどの組み込み製品を除いては、ソフトウエアで儲けたり、国外で競争したりする方法を知らないようにみえる。
日本からグローバルな支配力をもつようなソフトウエア・プレイヤーが出現しそうに見えたのは、唯一テレビゲーム産業のようなニッチ分野だけだった。

これもよく指摘されている部分である。いいとか悪いとかではなく、日本企業のビジネスは主に労働集約型のカスタムまたはセミカスタムのシステムが中心になっている。これらは非常に高度な技術であるにも関わらず、殆どが特定の顧客専用(e.g. リアルタイム金融システム、電車の制御システム)につくられたもので、設計上のイノベーションは殆どないと断言されている。

米国人ほどソフトウエアをビジネスとしてとらえている国民はほかにはいまい。米国人はソフトウエア技術を、ソフトウエア企業設立のための手段だと思っている。会社のつくって「まあまあ良質」の製品をつくり、業界標準を打ち立て。その過程で大儲けしようという訳である。

この辺りは、異文化の知識があればよりよい理解が得られるであろう。この後、マイクロソフトの話が続くので、かなりの読者が「マイクロソフト製品 == まあまあ良質の製品」と読み取ってしまうかも知れませんが、それは少々短絡的かも知れません。
2章では、ソフトウエア企業の戦略として、いつくかのテーマが語られている。

  • 製品企業?サービス企業?
  • ターゲットは個人か法人か、マス・マーケットかニッチ・マーケットか
  • 水平的か垂直的か
  • 継続的な収益源は確保できているか
  • メイン市場を狙うか、「キャズム」を回避しようとするのか
  • 目指すはマーケット・リーダーかフォロワーか、それとも補完製品メーカーか

いきなり水平的ではなく、まずは垂直市場での足がかりをつかむことが必要だ、もしくは成功する確立が高いという訳である。この辺りの解説は歴史的背景を交えて語られているのでPC創世記を知る人もそうでない人にとってもわかりやすいと思う。
4章で日本企業がソフトウエア開発で実践しているファクトリー型プロセスについても触れられている。この手法のよい所は沢山あり、いまなお一定の価値はあるがほとんどの場合は、現在これよりも優れた手法が存在している。つまり体制構築も必要であるが、「組織構造内の管理プロセス」によって創造性や柔軟性が失われてはならないということである。シリコンバレーの企業を見ると自由奔放に感じる人もいるかもしれないが、そこには組織が革新的な正確を保持しつつ発明を生み出し、顧客ニーズに順応できるようになっていると考えられるだろう。ここで注意しなければならない点は、規律のゆるんだプロジェクトが制御不能になることだ。クスマノ曰く

つまり無限の不具合ループにはまり、そもそも不可能なことに挑戦し、何も出荷できなくなる。マネージャは、イノベーションと設計を管理する為の戦略を持たねばならず、幸運に頼ったり、開発者自信に多くのことを委ねすぎてはならない。

このバランス加減が成否を分けるひとつのポイントと言えるかもしれない。
また、プロジェクトとは今までにないものを生み出すものといった定義をどこかで読んだが、1つのソフトウェア・プロジェクトであまりにも多くの技術的挑戦に立ち向かうことは、破滅への道をたどることを意味するとも書かれている。これはまさにその通りであり実際に目の当たりにしたことがあるので共感できる。ネットスケープマイクロソフトに敗北した(一般的に思われている理由とは違う)真の理由も述べられている。第4章で引用されているネットスケープの元マネージャのインタビューも興味深い。また、現代のソフトウェア開発において初期に完全な仕様をつくるのは不可能で後で仕様変更を受け付けるプロセスは競争上大きな優位性をもたらすとも言っている。まったく同じではないが、はてな近藤淳也社長が50%の完成度で製品をリリースすると言っていたのとも共通する部分があるだろう。

「ピープルウエア」の著者によれば、最良のプログラマーは、最悪のプログラマーの10倍の能力をもち、平均的なプログラマーの2.5倍の能力をもつとのことである。

う〜む、数値の根拠は不明だがなんとなく納得。もう1つ面白い話。

IBMマイクロソフトOS/2のプログラミングを半分に分割し、IBMは数千人、MSは数百人のプログラマーを配置した。MSのプログラマーは高速化のためにコードを短縮することに時間を費やし、IBMのマネージャはプログラマーの1人あたりのコード行数で生産性を評価していた。MSのマネージャは IBMのアプローチを「烏合の衆によるプログラミング」と呼び、IBMの方が、MSを「非生産的」といった。

まぁ、これはIBMプログラマーがもともとはハードウェアの要員で短期間でソフトウェアの教育を受けた人々という背景があるらしいですけど、それにしても...

Linuxを使うことによって経費を節約できるかもしれないが、Linuxから直接カネを稼ぐことができたソフトウエア企業は現時点でほとんどいない。

Linuxでメジャーなプレーヤーはいくつかいるけど、なかなか赤字から脱却できないという厳しい現状があるのは事実だろう。
スタートアップ企業によっては、VCなどの資金援助が "死のくちづけ" になりうるということが繰り返し述べられており、実際の企業名を例にとって説明されている。カネを使うことは必要だが、使い過ぎるとだめだという基本中の基本があたりまえのように書かれているが、ついやってしまうんですよね。なるほど "死のくちづけ" である。
ひとつの見解として、クスマノは、法人顧客向けのハイブリッド・ソリューションこそが、ヒット製品や支配的なプラットフォームを持たない企業にとって、現実的ゴールであると結論付けている。MicrosoftAdobe のようなケースはかなりまれで、殆どの場合はそうはならない。でもやっぱりソフトウェアは無限の可能性があるからおもしろいんですよね。