何を考えながら坂をのぼる?

ヒルクライムのレースのときなど、皆さん一体何を考えながら自転車のペダルを回しているのだろうか。いろんなことを考えながら走る人もいれば、な〜んにも考えずに走るひともいるんでしょうね。
私は Mt.富士ヒルクライムで坂道をのぼっているときには、殆どの時間は走りに集中していたので何も考えていない時間が多かったかもしれない。そんな中でも、考えたり思い出したりすることで自らを鼓舞しようと思っていたことが幾つかあった。
1つ目は、100km マラソンを完走した今はアメリカ在住の Tおさんのこと。経験したことがないのでよくわからないけど、100km 走るってことはとてつもなくくしんどいに違いない。
2つ目は、5/31-6/1 にかけて、丁度我々のヒルクライムと同じころに(も)、600 km ブルべに調整中だった、サーチ男さんのこと。「600km に比べれば、俺のレースなんてたったの 24km やんか。しんどいなんて言うてられるか。」と自分を叱咤激励して、テンションをあげた。
3つ目は、今読んでいる本、ランス・アームストロング著の「毎秒が生きるチャンス!」に影響されて、恐れ多くも彼の経験を自分のそれと重ね合わせ、置き換えたこと。具体的には、ランス・アームストロングが癌のつらい化学治療の激痛に耐え抜き、あの時の痛み、苦しみに比べればツールでの過酷な走りなどなんてことはないはずだと鼓舞して力を発揮したそうだ。それにあやかって、去年一昨年と好酸球腸炎や急性膵炎で入院し、決して経験したことのない痛み・苦しみと格闘したことを思い出し、あの時の辛さや痛みに比べれば Mt.富士ヒルクライムでヘロヘロになるまで(限界近くまで)頑張ってもそっちの方が遥かに楽である。だったらもう少し追い込めるはずだと無理やり己を鼓舞し、駆り立てていった。スポ根の世界ですね。(笑)
スタートに立った時点での心肺能力や脚力はもう変えようがないので、あとは精神的な部分でどれほど自分と戦えるかが大事だなと思っていた。つらいときに「もっといけるはずだ、スピードを上げろ」と脳が自分の脚に指令を送れるかどうかなんだろうな。そうしないと出力はアップしない気がする。
病気で2度も入院したのは、とても辛くて苦しい経験だったけど、その分怖いものが減ってきたのかも知れませんね。